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2025.02.10

【しがライターReport】看取られる神社 変わりゆく聖地のゆくえ

嶋田奈穂子さんの『看取(みと)られる神社 変わりゆく聖地のゆくえ』(2024あいり出版)が上梓されました。
『私はもともと生活デザイン科の学生で、建築の勉強をしていた。特に日本の在来工法に興味があったから、神社に行って建築を見るのが好きだった。それがいつしか、神社の立地を研究するようになった。「なぜ、そこに神社があるのか」という問いに対する研究である。建物からその土地へ興味が移ったのは、高谷(たかや)先生の調査に同行して日本各地の神社を訪れている中でのことだった。先生に出会っていなければ、今頃私は建築士の資格をとって、どこかの設計会社で働いていたはずだ』、嶋田さんは滋賀県立大学で学びました。高谷好一(よしかず)さんは彼女の恩師で、2016年3月11日の夜インドで客死され、共に調査旅行中だった嶋田さんたちが看取りました。それ以来、彼女は「看取る」という行為を意識するようになりました。
この本は、洪水をはじめとする自然災害や治水管理のダム建設や少子高齢化で存続できなくなった神社や、過疎集落に住む最後の住民が神社を更地にし、碑を建て心を鎮めるという看取りの姿が綴られています。嶋田さんが1000社以上の神社を調査する中で、地元の方に取材したドキュメントです。
滋賀県で暴れ川と呼ばれた野洲川流域では、人柱になった愛さんをしのぶ“ちりんさん“と堤防決壊時の瓦礫を集めた場所に五穀豊穣のカミを祀る“稲荷神社“。安曇川流域では木材を筏で流す森林産業を支えた“シコブチ神社“が紹介されています。本著では川が暮らしと流通を支えた名残を今に伝える神社を、自然と人との関係性からとらえています。 嶋田さんの望みは、聖地をアーカイブにして後世に残すことだといいます。「維持できなくなった神社をどうしようかと途方に暮れている方に新たな一手を提案したいです。神社を更地にしなければならないときも、それを担う方々が苦悩ではなく納得して看取れるかたちを、一緒に見出してみたい。」

困っている方はぜひ本著をご一読ください。そこには様々なヒントが散りばめられています。
にっこり笑顔の嶋田さんとお話ししてると、肩の力が抜けるような、無理しなくてもいいんだなという気持ちになりました。

『「魔の口」を鎮めるため堤防に埋められた庄屋の娘愛』ちりんさん

  1. ちりんさんと呼ばれる愛の内明神社(滋賀県守山市立田町:旧戸田村)
  2. 愛さんが人身御供になったことが記されている
  3. かつての風景を残す池

野洲川が北流南流と分かれ、流路が蛇行し川幅も狭く堤防の決壊も経験した琵琶湖に近い村々は水害に苦しみました。
『1544年7月29日(天文13年)、一人の少女が野洲川の堤防に掘られた穴に埋められた。少女は愛(あい)といい、野洲川下流にある戸田村の庄屋奥野忠左ヱ門の娘である。戸田村の堤防は悪霊に取り憑かれた「魔の口」と呼ばれていた。』
村人は人身御供となった愛さんを親しみを込めて「ちりんさん」と呼び、霊を鎮める祭が行われます。

『災害の爪痕を、自然の恵みを願う場に』稲荷神社

  1. 稲荷神社(守山市服部)
  2. 水害の瓦礫を集めた山に稲荷神社を祀る

『戸田と同じく野洲川下流に位置する服部には田地の中に小さな高みがあり。そこに稲荷神社が祀られている。実はこれは人工の高みである。1915年の台風で川が決壊したときに田畑に流入した土砂を集めてできた瓦礫の山だ。』
なぜ、稲荷神社なのでしょうか?
「洪水の翌年は土壌が更新され豊作になることから五穀豊穰を願う稲荷神社を選んだんでしょうか」と嶋田さんは想像します。
前向きな考え方が必要なのですね。

洪水の被害に遭われた日記の記述は臨場感あふれます。
嶋田さんは高谷先生が『当時19才だった一人の青年の日記を思い出す。この、復興の作業を手伝う中での自然に対する素直な気持ちを、彼は台風が来た翌年、1954年(昭和29年)2月11日の日記に綴っている』。青年は『見ちがへた。こんなに明るいものかと、見違へた。』と、台風13号の被害にあった野洲川の姿に感動します。

この章を読んでいると記者の故義祖父の寝言「堤防が切れるぞおおーー水が来るぞおーー逃げろおーー」を思い出しました。

『一族の記憶を伝える聖地城』城之(しろの)神社

  1. 城之神社(野洲市比留田)
  2. 本殿修理、境内整備記念奉納者碑(高谷講の氏子さん)
  3. /史跡 葭地(よしじ)城跡

『ここがうちの城やったんや。佐々木氏に負けて、俺らはチリチリばらばらになったんやけどな』
野洲市比留田には、高谷一族の祖先が築いた葭地城と呼ばれる平城が築かれていました。
嶋田さんの恩師故高谷さんの先祖の神社です。
筏流しの守護から、新しい村の鎮守へと題された思子淵神社(京都、高島市)も紹介されています。
ラオス、福島、福井、沖縄の聖地の物語も感動します。
詳細はページを開いて触れてみてください。

本の帯には『神社とは何か。なぜ、そこにあるのか。聖地の最期を看取る人たちと出会った。』と赤坂憲雄(民俗学者、思想家。学習院大学名誉教授)が記されています。
忘れてはいけない大事なこと、川の存在と神社の形と、聖地のゆくえに気づかせてくれる良書に出会いました。

※本稿は『看取られる神社』の本文より抜粋引用しています(『』の部分)
#嶋田奈穂子(しまだ・なほこ)
#滋賀大学非常勤講師
#滋賀県立大学
#人間文化学修士
#地域研究
#イマジナリー生態学
#人間の想像力の発露
#持続可能な人と自然とのコミュニケーションの方法
#調査地は1000以上
#『看取られる神社 変わりゆく聖地のゆくえ』あいり出版2024

#『アジアの人びとの自然観をたどる』勉誠出版2013共著
http://airpub.jp/shop-new/goodsprev.cgi?gno=978-4-86555-120-4
#『朽木谷の自然と社会の変容』海青社2019共著
#海と日本プロジェクトin滋賀県

レポーター紹介

文/辻村琴美・文化コーディネーター

1956年大阪市生まれ。野洲市在住。(特非)コミュニテイ・アーキテクト近江環人ネットワーク理事長。
写真家の辻村耕司の妻。職業は編集者。一男一女を授かり夫の実家旧中主(ちゅうず)町にて三世代同居。
環境倫理雑誌M・O・H(もう)通信編集長を務めた。好きな言葉は「信頼と優愛」。
目標は“びわ湖から世界に羽ばたくバタフライエフェクト”を創ること。

写真/辻村耕司・滋賀を旅する写真家

1957年滋賀県生まれ。野洲市在住、(公益財団法人)日本写真家協会(JPS)会員。
1990年に滋賀にUターン後『湖国再発見』をテーマに琵琶湖周辺の風景や祭礼などを撮影。

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