6月は山が若返る季節。梅雨に濡れてしっとりした山の風景は美しいです。
天から降り注ぐ雨を標高の高い山が一番最初に受け止めます。
受け止めた雨つぶを木々が蓄え川に流します。里の民は川の水をいただきます。
そして雨つぶは琵琶湖を潤します。
母なる湖は父なる山と相思相愛なんですね。
父なる山に分け入って木々を伐採したり山の恵みを頂いたり山では人が大活躍でした(今は・・・)。
昔の山行き着(山着)はBOKKOと呼ばれています(地域で呼びかたは様々です)。
今回は美しい刺し子が施されたレトロなビンテージジーンズを思わせる山行きBOKKO(ぼっこ)をご紹介しましょう。
野良着は農作業をする着衣なのでモンペ姿(カスリ織)で知られます。
山行きボッコと比べると薄手(うすて)の感じ。
山行きボッコは綿麻などを藍染(あいぞめ)し、織っているように見受けます。
手縫いで何重にも重ねて縫い合わせてある刺し子(藍色の布に糸で線を描くように刺し縫いする)は正確で縫い目の規則正しさに目を奪われるほどです。
じっと眺めていると囲炉裏端(いろりばた)で糸を通した針を手にチクチクと動かす姿が浮かびます。
木が焦げた香り火が爆(は)ぜる音。北風のうめきとともに春を待ち焦がれながらBOKKOが丈夫に縫われている一コマを想像すると心を打たれます。
山行きBOKKOは“つぎはぎ“だらけ。
そうなんです!破れた箇所を使い古した布で繕(つくろ)いリメイク利活用しているんです。
山仕事では身を守る衣服が大事な相棒です。
BOKKOは引っ掛けたり破れたり傷だらけになりながら身体を守ってくれるのです。
修繕には布切れが活躍します。
家族の衣服は布団や手ぬぐい、布巾(ふきん)になって雑巾(ぞうきん)に、最後は手で裂いて火に入れ虫除けに、無駄にしませんでした。
大事な布切れを破れたBOKKOに裏側からつぎはぎします。
だから、どれ一つ同じものはありません。
現代に現れたBOKKOを並べると個性的で温もりがあって丁寧(ていねい)な手仕事の_粋(すい)を感じます。
しかも丈夫で雨や汗に強く快適なのはビンテージジーンズにさも似たりですね。
山の暮らしは山仕事が重要、家族総出で助け合います。
じじ、ばば、とと、かか、ねえね、おいら、ちび(想像上の人物です)みんなのBOKKOが残ります。
小さな布靴、布カバン、・・・。ごっついのやちっちゃいのサイズが異なるBOKKOはファミリーの笑顔を彷彿(ほうふつ)させます。
なぜでしょう?ゆかいな表情に見えてくるのは。
きっと山が楽しかったからでしょうね。
季節によって違う恵み(木、炭、山菜、木の実、獲物など)を収穫する喜びが聞こえてきそう。
山行きBOKKOには先人の知恵が詰まっているようです。
麻の繊維で作った糸は丈夫です。綿花を詰めると暖かく木綿は糸にもなります。
藍を発酵させると染料になり藍色は糸を丈夫にし安全な(虫除けなど)色にしてくれます。
いずれも植物を原料に生活の道具として先人達が生み出しました。
長く使えば使うほど頑丈になり色合いが落ち着いてきます。
経年変化を巧みに利用した技と知恵の集大成です。
使い捨てを習慣とする私にとって見習うべき技術です。
時間とともに変化する物の力を先人達は知っていました。
私は長い目で物や者を見ることに気付きました。
慌てず騒がず冷静に身を守る術を身につけよう。
そんなことを感じさせる愛すべき山行きBOKKOボッコたちです。
#山行きBOKKO #BORO
1956年大阪市生まれ。(特非)コミュニテイ・アーキテクト近江環人ネットワーク理事長。写真家の辻村耕司の妻。
職業は編集者。一男一女を授かり夫の実家旧中主(ちゅうず)町にて三世代同居。
環境倫理雑誌M・O・Hもう通信編集長を務める。好きな言葉は「信頼と優愛」。
1957年滋賀県生まれ。(公財)日本写真家協会(JPS)会員。