4月1日(土)午前5時30分。快晴、凪、空気清涼、気温13度、見晴らし抜群。母なる琵琶湖が歓迎してくれているかのような 良い天気。
フィッシャーアーキテクトの漁師・駒井健也さん(30才)主催の和邇漁港魞漁体験が始まりました。参加者は7名うち2名は三重県のお魚大好きな中学生ツインズ。マイ胴長で参戦です。頼もしい!
魚篇に入ると書いて魞(えり)。巨大な矢印形⇨に網を張り、ツボ(壺)と呼ばれる▷の部分に魚を閉じ込めます。
滋賀県立大学近江環人生の西田さんと、ツインズ中学生彗星君と流星君が壺の網をたぐり寄せます。彗星君と流星君はお魚検定を保持するほどのお魚好き。
守山の黒川琉伊君を紹介したいなあ、きっと話が合うだろうなあと思っていると、網がズンズンと狭まってきたキタキター。
イサザ、スジエビ、ホンモロコ、ワカサギ、ヒウオ、アユ、コイ、ワタカ、フナ。「琵琶湖の固有種だらけ!」とツインズ。
そうなんです。ブラックバスは一匹もいません。ブルーギルのベビーが一匹だけ。(ワカサギは外来種)
昔ながらの琵琶湖の漁法が今も健在です。たぐりよせた網に小さな魚がピチピチ跳ねて、タモですくい上げると魚体が朝日に煌めいて綺麗。
「でっかい(金)魚すくいやん!」と興奮気味の私。すくった魚は船上の生簀に投入。まるでミニ水族館です。
参加者は覗き込んだり携帯で撮影したり、春の魚種の多さを楽しみました。
「では、魚を選別しましょう」と駒井さん。等間隔の隙間になっているガラス棒が底に入った四角い木箱で魚をすくうと、魚体の大きい魚だけが木箱に残ります。生簀の仕切りに大きい魚を移動します。ピチピチはねるのとジーとしている魚がいて木箱を斜めにしておくと、魚が自分で移動するではありませんか。
エビは網にくっつく習性なので網をタモで撫でると集まります。船上で魚を選別し港に帰還すれば漁協に納品です。
琵琶湖の湖魚が、皆さんの食卓に届くといいな。
蓬莱の家に移動。「さて、料理しましょう。何がいい?」相談しながら調理です。
駒井さんがワタカを捌きお刺身(酢味噌)に、イサザはじゅんじゅん(魚のすき焼き風)、ワカサギ、ホンモロコは天ぷら、エビは野菜とかき揚げ。
「本でみたじゅんじゅんってこれ?」と彗星君と流星君。中学生の底なし胃袋に吸い込まれていきました。
網を引いていると水の重さを知ります。穏やかな湖上で穏やかに10代~60代が協力し、笑いと掛け声交流ができ、楽しく美味しいひとときでした。
筋肉痛がお土産かもしれません(笑)。専業漁師人口が減少する中で趣味漁師、観光漁師など多様な副兼業漁師の可能性もありそうです。
琵琶湖の漁師の生活設計が描けるように、関係人口(ファン、リピーター、購買者)の増加が必須ではないかしらと語り合えるのも良し。
毎月開催のHOURAIマルシェにいくと駒井さんに会えますよ。
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1956年大阪市生まれ。野洲市在住。(特非)コミュニテイ・アーキテクト近江環人ネットワーク理事長。
写真家の辻村耕司の妻。職業は編集者。一男一女を授かり夫の実家旧中主(ちゅうず)町にて三世代同居。
環境倫理雑誌M・O・Hもう通信編集長を務めた。好きな言葉は「信頼と優愛」。
1957年滋賀県生まれ、日本写真家協会(JPS)会員。
大学から大阪で暮らし1990年にUターン。
1993年から写真撮影を生業とする、滋賀を旅する写真家。