【しがライターReport】琵琶湖の水運と織田信長「安土城考古博物館で見つけた織田信長の天下静謐(せいひつ)」

2022-10-13
海と日本PROJECT  in 滋賀県

日本の歴史の中に安土桃山時代があります。1568年~1600年、織田信長と豊臣秀吉が政権の頂点にいた時代です。
滋賀県には安土桃山時代に織田信長が天下静謐(将軍が京都とその周辺の五畿内を安定に治める)のために普請した水城や港、交通網などが随所に残ります。
琵琶湖の水上交通を意識した安土城は城跡が残っており、現在も安土桃山時代の香りを求めて多くの人が訪れます。

信長の時代は上洛(京都へ行くこと)の移動手段として、陸路と琵琶湖水運を組み合わせたさまざまなルートがありました。
その後、都は京→大坂→江戸へと変遷し、北陸からの輸送ルートもあり、湖上水運も西・東廻り航路へと転換していきます。
かつての琵琶湖の水運はどのように開かれてきたのでしょう?歴史のターニングポイントとなる、安土桃山時代の信長は近江の水陸交通をどのように支配したかったのでしょうか?
安土城考古博物館学芸員の高木叙子(たかぎのぶこ)さんにお話を伺いました。

 

琵琶湖を渡り都へ向かう戦国武将たち

  1. 安土城考古博物館
  2. 近江風土記の丘

安土駅から車を走らせると、田園風景の中に幟が道案内するようにたなびきます。車を進めると異国情緒たっぷりのセミナリオ風の丸い屋根の建物が目に入ります。
ここが安土城考古博物館です。JRの線路を車両が走っていきます。車窓から見るこの建物は野原の中の教会のように見えるんですよ。道路を隔てた近江風土記の丘と書かれた看板は、安土城跡への目印です。

建物が消失しても山全体がかつての存在を教えてくれるかのようです。天主があったであろう頂上からは琵琶湖が見渡され水城の風情が想像できます。建物がなくても城の存在が感じられる不思議な山です。

高木学芸員に信長が構想した琵琶湖の水運について聞いてみました。
「残念ながら、史料が少なくて古文書や記録から推測するしかないのですが、東国から都に物資を運ぶ際は、陸上は馬の背に乗せてキャラバンを組んで運ぶしかありませんが、琵琶湖なら浮かべた船に大量の荷を載せて一度に運べます。コストパフォーマンスがいいんですね。さらに信長が近江に入った頃は、1568年の上洛の際に敵対した六角氏が勢多橋を落としたので、なおさら船で対岸に渡るしかなかったんですね。本拠の岐阜と京都を往復するためにも、また東国からの流通を把握するためにも、近江を握ることは大切で、そのためには琵琶湖を支配することが必須だったのです。港と水運力を持つ勢力を味方につけ、水運を活用するために水城を作っていったのです。」

 

信長のスローガンは天下静謐

  1. 安土城考古博物館常設展示 信長の肖像

ところで信長は天下布武を旗印に敵を蹴散らしていたイメージがありますが?
「研究が進み、信長のポリシーが私たちのもっていたイメージとは異なることがわかってきました。当時の史料から推測すると「天下」とは京都とその周辺の五機内を指していることが多いのです。大名たちが治める地は「国」と呼ばれ区別されていました。つまり天下は将軍の支配の及ぶ範囲のことで、信長は幕府の支配を武力で安定させることこそ自分の役割だと思って、『天下布武』の印章を用いたのでしょう。友好関係にある他の戦国大名に出した文書にもこの印章が使われていることが、その証拠ではないでしょうか。」

その意思は安土城築城以前から位階や官職の勧めがあったにもかかわらず、騒乱の絶えない時点では天下静謐が第一との理由で辞退していたとか。信長の天皇を支えるスローガンみたいです。
天正3(1575)年7月再度天皇からの打診を受けたにもかかわらず、長篠の戦いで武田勢を鎮圧しても、一向一揆(浄土真宗の僧侶や農民、商工業者、武士などの門徒が主導あるいは他の勢力と組むなどして本願寺法主に動員され起こした武装隆起、闘争の総称)が敵対していました。そこで自分は辞退し、代わりに明智光秀や羽柴秀吉などの家臣に官職などを求めたのです。10月にようやく本願寺と講和したため、やっと官位を受けて従三位右近衛大将となり、離京している将軍足利義昭と並ぶことになりました。
「自分からは表面に立たない、生真面目で極端な理想主義者だった信長」の謙虚さが伺えますね。

 

安土城構想はいつ頃から?

  1. 安土城考古博物館常設展示 安土城の復元
  2. 安土城考古博物館常設展示 佐々木六角氏の観音寺城

安土城といえば黄金の天主があった、と現在の私たちは夢想しています。信長は右近衛大将の官職を得て、織田家の家督と尾張・美濃の領国を信忠に譲ります。
信長は近江に移り琵琶湖につながる港であった常楽寺(佐々木六角氏の観音寺城の外港)にほど近い地で天正4(1576)年安土城の築城に着手します。

「天下静謐をかなえるために立てられた城です。戦闘のためでも領国支配のためでもない『天下人の城』。そういう意味で同じ城は、秀吉の大坂城と家康の江戸城しかありません。」
信長は佐和山にて「船の長さ三十間・横七間、櫓を百挺立てさせ、舟盧舳に矢蔵を上げ」た大舟を作らせました。真木島城の足利義昭を攻撃するための軍隊を率いるため佐和山から坂本へ運んだそうです。(淡海文化財論叢 第一輯2006)

 

琵琶湖は物資輸送の大動脈

  1. 瀬田唐橋
  2. 近江八幡から長命寺山越しの琵琶湖

安土城築城の前年、信長は勢多の唐橋を再建し今のような橋が完成しました。人の移動には気候によって不安定な水路より陸路が優先されました。
そのため長さ30間の大船は解体され早舟10艘に造り替えられたのです。
信長の死後、豊臣秀次により八幡山城が築かれ八幡堀が開かれると、安土から近江八幡へと賑わいは遷ります。

琵琶湖の中世湖上水運を見ると十を超える湖上勢力が活発に帆船輸送を繰り広げました。物資の輸送には大量に運べる船は欠かせません。琵琶湖には縦横無尽に帆船や丸子船が行き交い、港には荷を上げ下ろす威勢の良い声が活気を帯びていたことが伺えます。

都へ続く大津では水城の大津城(廃城の後は膳所城)が築かれ大津百艘船が創設されました。大津百艘船は軍事にも重用されました。日本海から琵琶湖を通り大坂まで物資の大動脈として中世の湖上水運は暮らしを活発にしました。琵琶湖は歴史の中でも信長→秀吉→家康を支える縁の下の力持ち、なくてはならない存在だったのです。

移動手段が変化する現在、琵琶湖は私たちをどのように見ているのでしょう。高木学芸員は「人間って勝手やなあ、と思っているかも」と悪戯っぽい笑みを浮かべながらポツリと。
琵琶湖は癒しを求めキャンピングや水上レジャーを楽しむ人を悠然と受け入れています。湖の幸を育み、美しい自然の陽光を惜しみなく降り注ぎ、時には激しく時には優しい水面を見せる琵琶湖。のちの世代にも、琵琶湖の湖上で繰り広げられた歴史の歩みを語り継ぎたいものです。
大いなる自然の懐を借りて私たちの暮らしに助け舟を出してくれる琵琶湖。琵琶湖を天下静謐の精神で大事に守り活性することが、私たちに与えられた課題かもしれません。

滋賀県立安土城考古博物館
※写真の無断複製を禁じます

 

レポーター紹介

文/辻村琴美・文化コーディネーター
1956年大阪市生まれ。野洲市在住。(特非)コミュニテイ・アーキテクト近江環人ネットワーク理事長。
写真家の辻村耕司の妻。職業は編集者。一男一女を授かり夫の実家旧中主(ちゅうず)町にて三世代同居。
環境倫理雑誌M・O・Hもう通信編集長を務めた。好きな言葉は「信頼と優愛」。
写真/辻村耕司・写真家
1957年滋賀県生まれ。野洲市在住(公益財団法人)日本写真家協会(JPS)会員。
1990年に滋賀にUターン後『湖国再発見』をテーマに琵琶湖周辺の風景や祭礼などを撮影。
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