お知らせ
2022.08.09

【しがライターReport】近江商人は海を渡る

7月は北海道に行ってきました。空路とレンタカーで懐かしの先輩たちと青春の仲間に再会の旅です。北見在住の先輩に案内されて網走港の道の駅へ行く途中に車窓から見たことのあるものが目に入りました。「ん?あれは北前船?」と思う間もなく網走港へ。
冬は流氷を見学できる「おーろら」号も着岸。オホーツク海は凪いで青かった。それにしても気になるのが北前船の幻?そういえば、江戸~明治時代は近江商人が日本全国を回って諸国持ち回り商い(仕入れしながら販売する)をしていたって聞いたなあ。ひょっとして蝦夷地にも近江商人は帆船で乗り入れてたのかなあ?気になる。ということで、今回は旅先の妄想を紐解くため、近江八幡市市史編纂室の烏野(からすの)氏(岸和田市出身)にお話しを聞きました。

 

北回り航路を使うと近江(滋賀)⇄松前(北海道)は近かった

  1. 千石船模型、米千石(約150トン)を積めた大型貨物船、実物は全長約29メートル、幅約7.5メートル
  2. 元西川伝右衛門店蝦夷地高島分店明治32年頃の写真
  3. 近江商人の蝦夷地場所請負先一覧

「そうなんですよ!松前(北海道)で活躍した八幡商人が蝦夷地を開発したとも言えるんです。八幡商人は日本全国に日本橋を出発点として蚊帳や畳み表などを商いしていました。近江から蝦夷地は日本海の敦賀港を経由して北回り航路を使うと近いんですよ」と烏野氏。帆船だから動力は風と波、風を読みながら航海してたんだ。
「松前に進出した近江商人の中に、八幡の西川伝右衛門(でんえもん)がいます。彼は寛永(かんえい)15(1638)年、住吉屋助次という屋号で蝦夷地の忍路(おしょろ)・高島の場所請負(松前藩から商売の許可を得た地)し、呉服・太物商を営んだ有力商人でした。手船を数隻所有し、出店も開業し奉公人も雇いました。松前における主力産業である漁業活動に関与したことから富も得たようです。その後ニシンの不漁、火災、船舶事故に見舞われますが三代目まで続き弘化(こうか)元(1844)年に場所請負を返上しました」(同氏)。
200年以上商いが続いていたんだ。すごいねえ。「当主は初代から10代続き慶安年間~明治31年まで約260年間、店を支えました」(同氏)

 

魚に非ずって書いてニシンと呼ぶ健気な魚が土を肥やす

  1. 八幡堀の風景
  2. 近江の水稲栽培は今も健在

では何を運んでいたんだ?「肥(こ)やしものと呼ばれるニシン、カズノコです。干鰯(ほしか、イワシ,ニシン,カズノコなどを干して乾かし固めた肥料)と呼ばれる田圃や綿花畑の肥料です。ニシンは栄養価が高く米の育成に不可欠でした。私の出身地の泉南では干鰯が蓄積され富栄養化で逆に生産性が落ちますが、近江は山に囲まれ琵琶湖に流れる伏流水が豊富なので田圃の養分が高くても浄化してくれます。」(烏野氏)。
近江米の源はニシンだったんだ。カズノコは贅沢だなと思うけど塩漬けカズノコを食すようになったのは近年になってからだそうな。ニシン(鰊、鯡)、魚へんに非ずって書いてニシン。ちょっと可哀想な気もするが当時は湧くほどとれたとか。健気な魚のおかげで近江米は美味しい。
「田の肥料として山の柴木を使うこともありましたが、供給の安定性と農家の需要が多かったから干鰯が合理的だったんではないでしょうか。財力があったことも干鰯を流通させる後押しになったかもしれません。近江商人は千石船を操ることで北海道と近江の一次産業を支えてきたんですね」(同氏)。

 

海なし県の滋賀だから海の恵みを愛おしむ

  1. 神饌には海の幸が(馬見岡神社)

そういえば、“身欠きニシンの炊いたん“と“数の子“はおせち料理やお蕎麦に欠かせない。海なし県の滋賀県だけど郷土料理のひとつでもある。
「神事の神饌が近江八幡の金田学区はニシンの煮付けと昆布。馬淵の馬見岡神社はちりめんじゃこ(イワシの幼魚)。神様に食していただく特別な食べ物が海の幸なんでしょう」と、烏野氏。海なし県の滋賀だから海の幸を愛おしむのね。琵琶湖を“海“と呼ぶことも憧れから来たのかもしれない(妄想ですが)。烏野さんありがとうございました。

 

ヴォーリズ建築みっけ!

  1. ピアソン北見記念館外観
  2. ピアソン北見記念館内観

北海道のヴォーリズ建築、ピアソン北見記念館。宣教師ピアソン氏の居宅を近江八幡市ゆかりのウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏が設計したもの。

 

北見の「羅須地人(らすちじん)」にて蕎麦とガレットを食べながら近江八幡を感じた旅

  1. 手打ちそば
  2. ガレット

今回のレポートは、北見市常盤町の「そば・ガレット羅須地人」を営む小林正典、清美夫妻にお世話になりました。羅須地人という店名は宮沢賢治が設立した私塾と建物にちなんだもの。
そばは地元食材と自家菜園を主に使用した小林家のおじいちゃんの味。お出汁が絶妙に旨く細麺で喉越しがいい。ガレットは清美さんの試行錯誤によるフランスブルターニュ地方の郷土料理。しっとりとしたそば粉の風味とチーズとハムの相性が抜群。で、お2人のお気に入りが、近江八幡市に本社を構えるメンターム、とオチがついた所で8月の北海道の旅レポートのキーボードを置きます。
皆さんもお近くに来られた際は是非、土日のみ営業で要予約(0157-61-4729)ですのでご注意を。

写真提供・取材協力/近江八幡市市史編纂室、近江八幡市立郷土資料館

 

レポーター紹介

文/辻村琴美

1956年大阪市生まれ。野洲市在住。(特非)コミュニテイ・アーキテクト近江環人ネットワーク理事長。
写真家の辻村耕司の妻。職業は編集者。一男一女を授かり夫の実家旧中主(ちゅうず)町にて三世代同居。
環境倫理雑誌M・O・Hもう通信編集長を務めた。好きな言葉は「信頼と優愛」。

写真/辻村耕司

1957年滋賀県生まれ。野洲市在住(公益財団法人)日本写真家協会(JPS)会員。
1990年に滋賀にUターン後『湖国再発見』をテーマに琵琶湖周辺の風景や祭礼などを撮影。

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