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2022.11.10

【しがライターReport】琵琶湖の固有種ビワマスが食卓に登場!

最近の研究で分かったそうですが、ビワマスはサケ科サクラマス群の中でも1番古い型の魚だとか。
遠い昔、琵琶湖に陸封され進化した魚が古くからの種だというのはとても興味深いことです。
琵琶湖は高度経済成長期の頃、赤潮が発生し酸素不足に陥りました。陸上交通の整備が進み河川の流入が断たれ、戦後の食糧増産の煽りで内湖が干拓されるなど生物にとっては暮らしにくい環境となったのです。
ビワマスも、漁獲高が減少しかつては“幻の琵琶湖のルビー(赤身)“と言われました。
昨今の琵琶湖の環境回復には目を見張ります。水質改善と魚道の整備、魚のゆりかご水田が普及し田んぼに魚が産卵しに戻ってきました。世界農業遺産にも選ばれました。
その成果は、秋になると河川を遡上して産卵する姿が見られること。意外に皆さんの近くまで来ているのかもしれません。必死に遡上するビワマスに出会えるかも・・・。

 

遡上するビワマスはアメノイオと呼ばれた

  1. 堰を乗り越え遡上したビワマス達
  2. 砂礫で産卵床を造りビワマスの保護をされる活動も行われています

ビワマスは秋の雨で増水した河川を産卵のため数10kmも遡上します。雨と共に川を昇るのでアメ(雨)ノ(の)イオ(魚)とも呼ばれています。
産卵期間の10月~11月は禁漁期間となっています。この時期は身体をぼろぼろにして繁殖を終えたビワマスの姿を見ることも多くなります。
かつては貴重な蛋白源だったと山間部の古老からお聞きしました。昔はアメノイオの炊き込みご飯がご馳走だったのだとか。ビワマスは足が速い魚でした。駆けっこが速いわけではありません。赤身が柔らかく程よく脂も乗っているので長期間の保存に適さない魚だったのです。つ・ま・り、新鮮で美味い魚なんです。

 

醒井養鱒場(さめがいようそんじょう)の鱒とはビワマス

  1. 明治時代の醒井養鱒場
  2. 採卵され人工授精されたビワマスの卵
  3. 養殖池で跳ねるビワマス

醒ヶ井養鱒場はビワマスの増殖のために明治11(1878)年に設立されたと展示パネルにありました。
養殖されたビワマスが市場に出るようになったのはここ10年のこと、100年以上かかる困難な事業だったんですね。
また滋賀県漁連では親魚を捕獲、卵と精子を取り出して人工授精させて増殖放流事業をされています。この事業を長年継続することでビワマスが増加したのです。継続はビワマスなり、です。

 

ビワマスを食す

  1. ビワマスの刺身
  2. ビワマスの押し寿司
  3. こけら寿司、麹で発酵させるので食べやすい

ビワマスはとても美味しい魚です。脂が乗った初夏頃が良いといわれています。さまざまな調理方法で楽しめます。冷蔵、冷凍技術が発達しスーパーでも見かけるようになりました。トレイに並べられたお刺身を見た人は多いでしょう。ビワマスが漁港を飛び出し私たちの食卓に舞い降りてくれました。増殖放流と環境の整備による漁獲高の増加と流通の進化の賜物です。
かつては産卵後の脂がなくなった赤身は「こけら寿司」として食されてきました。太古から琵琶湖に棲むビワマスはご先祖様も食したはず。
「大事な琵琶湖のタンパク源を無駄なく美味しく食すことが、湖(うみ)の自然環境を守ることに、つながるんじゃないかな」と、思いながらビワマスをいただく今宵でありました。

醒井養鱒場

 

レポーター紹介

文/辻村琴美・文化コーディネーター

1956年大阪市生まれ。野洲市在住。(特非)コミュニテイ・アーキテクト近江環人ネットワーク理事長。
写真家の辻村耕司の妻。職業は編集者。一男一女を授かり夫の実家旧中主(ちゅうず)町にて三世代同居。
環境倫理雑誌M・O・Hもう通信編集長を務めた。好きな言葉は「信頼と優愛」。

写真/辻村耕司・写真家

1957年滋賀県生まれ。野洲市在住(公益財団法人)日本写真家協会(JPS)会員。
1990年に滋賀にUターン後『湖国再発見』をテーマに琵琶湖周辺の風景や祭礼などを撮影。

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